過去の小説を載せていきつつ、新たに小説も書いていきたいと思っています。更新ペースはきまぐれです。
ジャンルは恋愛、青春。日常に非現実的なことがちょっと起こったりとかが大好きです。
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あれから3日が経った。
律子は何となく彼女に顔を合わせるのがおっくうで、けれど何をするでもなく家に引きこもってしまっていた。
今日もぼんやりと一日が終わっていく・・・。ベッドの中にうずくまり、そう思っていた時のことだった。 自分の部屋を誰かがノックする。「入っても良いか?」と聞こえて来た声は父のものだった。
「いいよ。」と素っ気なく返すと、父はゆっくりとドアを開いた。
彼が律子の部屋に入るのは何年振りだろうか? 自分の部屋に父が入ると、それだけで違った空間に なってしまったような、不思議な感覚に陥る。
「・・・律子。こっちを向きなさい。」
父がそっと、冷たく言う。
掛け布団を頭が隠れるまですっぽりと被った律子のその姿は、全てから背を向けようとしていることを表していた。
そして、父はそんな律子の心境を察しているようだった。
「嫌だ。何だか、無理・・・。」
父の言葉にそう答えると、膝を折りたたんで抱え込み、更に縮こまる。
その様子を見て、今の律子に動こうとする意志はないと諦めたのか、父はそのまま口を開いた。
「3日間入院していた彼女は、自律神経失調症ではなかったらしい。」
その言葉を聞いた瞬間、律子は神経を聴覚に集中させた。
それでもまだ、ベッドから出ることはしなかった。
「・・・問診を繰り返したところ、おかしな点が多々あるようだ。話の辻褄が合わない、
と言うのだろうか・・・記憶が断片的なものだった。もしかしたら彼女は、」
聴覚に全神経が集中させられているせいなのか、緊張からくるものなのか・・・、
途端に、部屋にある時計の秒針が鬱陶しいくらいに五月蠅く聞こえてくる。
・・・もしかしたらこの次に発せられる言葉が怖くて、聞こえないようにしてしまっているのかもしれない。
だが・・・、
「解離性同一障害なのではないかと。」
時計の音が止まったような気がした。
解離性、同一障害。つまり、二重人格や多重人格など、主人格である自分の人格以外の人格を持ってしまう症状のこと・・・。これを題材にしたドラマなどは何度か目にしたことがあったため、聞いたことがある単語だった。
しかし郁夫、いや、彼女が?
・・・確かに、冷静に考えてみればそれが一番納得できるのかもしれない。
今まで郁夫であった人間が、ある日突然全く別の人間になっていた。
言ってしまえば、人格を入れる容器・体は同じであったが、中身が違ってたということだ・・・。
彼が何故突然彼女になってしまったのかは、そう考えるのが自然なことだった。
・・・だが、納得したくなかった。律子は涙をこらえ、強く首を横に振る。
郁夫は郁夫としてこの世界に存在しているんだと、そう思いたかった。
「混乱する気持ちは分かる。だけど、お前は事が解決する最後まで、彼女に関わると決めたんじゃなかったのか? 自分の中で纏まったら、きちんと説明してくれるんだろう?」
私の動揺を見抜いて尚も、父は変わらず落ち着いた口調で言う。
(そんなこと言われたって、無理だよ!)
そう強く言い返したかったが、同時にそんな自分を情けなく思った。
しかし、だからといってすぐにどうしようかとも思えなかった。
父が言うように、確かに全てが纏まるまで関わっていくと決めた。ついこないだ、父と母にそう宣言したばかりだった。それなのに・・・、情けなかった。
「彼女は心療内科の病室に移ることになった。
見舞いに行くなら依然と部屋が変わっているだろうから、気をつけろ。
・・・あと、そんなにごちゃごちゃと何かを悩むくらいなら、もう関わるのは辞めた方が良い。中途半端な気持ちじゃ何も得られないだろうし、彼女を余計に混乱させるだけだろうからな。」
胸が痛む。諦めたくないはずなのに、マイナスな考えがどうしても頭の中を渦巻いて行く。
「あと。彼女の名前・・・「谷村瑞穂」だそうだ。行けるのなら、覚えておくんだな。」
父の口調はとてもきついものだった。しかし最後の一言にはどこそこ優しさが含まれているように感じられた。父はもしかしたら、信じてくれているのかもしれない。
・・・ふと気が付くと、父はもう部屋からはいなくなっていた。
父が出て行った部屋の空間は、柔らかな元の状態に戻る。
・・・こうした変化を感じたのは、やはりまだ父に対して緊張と恐れがあったからだろう。
とはいえ、父が言い放ったことは全て正論だった。
郁夫のことが知りたい、郁夫にまた会いたい・・・。
けれど、そうするためにはきっと彼女のことも受け入れる必要があるのかもしれない・・・。
彼女が受け入れてくれなければ、きっと郁夫からも真っすぐに受け入れてもらうことはできない。だから、彼は現れなくなってしまったのかもしれない・・・。
そう簡単なことではないし、すぐにできることでもない。
しかし自分が後ろを向いたままで何も解決しないよりは、前を向いていこうとする方が、よっぽど良いに違いないのだから・・・。
谷村瑞穂・・・彼女が移動した部屋は3階にあるようだった。
病院独特のツーンとした臭いがする。見舞いの立場なのに、この臭いを嗅いだだけで
自分も病人になってしまったかのような感覚に陥った。
・・・受付を済ませると、彼女がいるという病室へと向かう。
律子の手にはブーケンビリアの花束があった。別に、これは彼女の好きな花というわけではない。
ただ、なんとなく律子の中で郁夫のイメージは、この花だった。
花に詳しいわけではないが、かつて姉が絵描きの参考として花の本を持っていた。
それを何となく見たときに、このブーケンビリアに目が止まったのだ。
始めてみた時、花びら自体はそれほど大きくはないのだが、その鮮烈な美しい色から目が離せなくなった。
花言葉も、この花同様に情熱な想いに満ちたものだった。
「この花に惹かれた時と同様に、初めて会った時から私は彼のことを・・・。」
・・・ふと気付くと、律子は谷村瑞穂のいる病室の前に立っていた。
6人程入る病室のようだが、今はどうやら彼女を入れて3人しかいないらしい。
・・・ところで、彼女に会って一体何を話したら良いのだろうか?
郁夫とは親しい仲になれつつあったような気がする。しかし、谷村瑞穂と私は言ってしまえば赤の他人でしかないのだ。
「・・・何だか、怖い」
そう呟くと、重たい足が更に動かなくなってしまう。
手に握りしめた花束を見つめ、郁夫を思い浮かべる。
・・・私の街を綺麗だと言ってくれた郁夫。マンションなど建物が増え、ごちゃごちゃと
汚くなってしまった街。それも、肯定的に捉える郁夫。
彼は、自分の街を嫌になりつつあった私の視野を広げてくれた。
「・・・逃げちゃ、だめ。」
彼には感謝したいことがたくさんある。
しかし、きっと彼は色々何か悩みを抱えているようだった。
それらすべて、聞いてあげられたら良かった・・・。
「私からは感謝することばかりで、それなのに私からは何もできなかった・・・。
私からも、彼のために何か・・・・。」
律子は強く頷くと、病室のドアを静かに開いた。
病室の入り口から、部屋を一望する。
・・・すると、一番奥のベッドに彼がいた。
憂いを含んだような、無表情とも言えるような顔で窓の外を静かに眺めている。
その姿は、初めて会った時の、真剣な表情の郁夫と似ていた。
もしかしたら郁夫が戻ってきてくれたのでは・・・そう錯覚してしまいそうになった。
気が付けば、律子は郁夫だった彼女の、正面に立っていた。
長いベッドを挟んでいるため彼女との距離は遠い。
何となく、律子はこれ以上彼女に近づくことができなかった。
・・・心臓が高鳴っていくのが分かるが、深呼吸をして心を落ち着け、そっと口を開いた。
「こんにちは。」
ほほ笑みながら、優しく彼女に声をかける。
すると、彼女は静かにこちらを向いた。
「・・・あなたは、確かこの前の・・・。」
彼女は表情を変えず、私を見上げた。その目つきは冷たいものだった。
「橋本律子です。名前、言っていなかったと思うので・・・。」
郁夫だった彼女から冷たい目つきで睨まれると、少し涙が出そうになる。
それでも、私は笑顔で居続けた。
「・・・律子さん、・・・あなたは一体誰? どうして私に構うの?」
突然の質問攻めに律子の笑顔は崩れる。
表情を維持し続けるのが困難になり、律子の表情は歪んだ。
「この花、ブーケンビリアって言うんです。きっと、あなたに似合うと思ったので・・・
ここに、飾っておきますね。」
律子は質問には答えず、彼女のすぐ横に置いてある空の花瓶にブーケンビリアの花を供えよう
とした。・・・その時だった。
「答えてよ!!」
突然、横から彼女の手が伸びてくる。
そう思った瞬間に律子は背中に強い衝撃を受けた。
・・・どうやら、ベッドから身を乗り出した彼女に、突き飛ばされたらしかった。
その衝撃でブーケンビリアの花は床に落ち、ぐしゃぐしゃになっていた。
律子はため息をつくと、自嘲気味に笑った。
「・・・あはは、やっぱり駄目だ。やっぱり私、耐えられないかも・・・。」
律子はそう呟くと、途端に我慢していた涙が目からあふれ出した。
そんな律子の姿を見て、彼女は少し驚いたようだった。
「・・・ごめんなさい。」
そう言って彼女は手を差し出し、律子を起き上がらせた。
しかしどうしたら良いのか分からないといった様子で、そのままベッドに戻った。
律子は彼女の方に向き直り、涙の目を擦って重い口を開いた。
「・・・、私はあなたのことを知りません。私が知っているのは、郁夫さんだけです。
私は彼に会いたい。ただ、それだけなんです。」
郁夫という名前を聞いて、彼女の瞳は一瞬だけ大きく見開かれた。
しかし、直ぐに心を落ち着けたようで、「そう」と言った。
そして、続けて口を開いた。
「・・・私だってあの人に会いたいのに、・・・何故あなたは会えたのよ。」
と、小さくそれだけ言った。
彼女は複雑そうな面持ちで強く胸を抑え、涙を堪えているようだった。
律子は、しまったと思った。
突然こんなことを話してしまった。郁夫という単語を出すのは、彼女が心を開いて
くれてからだと思ったはずだったのに。
・・・やっぱり、ダメなのかもしれない。
再び涙がこみ上げ、瞼が重くなった。
「・・・すみませんでした。私、もう・・・。その、失礼します。」
律子は彼女に頭を下げた。そして顔を上げ、彼女に笑顔を向けると同時に涙が零れおちた。
それを乱暴に拭い、そそくさにその場から立ち去ろうとした時だった。
彼女、谷村瑞穂は、背を向けた律子の腕を強く掴み、引き留めてきた。
「ま、待って。・・・その」
律子は驚いて振り向く。
すると、今度の彼女は、しっかりと律子の目を見ていた。
冷たく睨みつけるのではなく、真剣な目で。
「私、あなたが会ったという郁夫について教えて欲しいの。
正直、悔しいし、あなたの事が少し憎いとも思ってしまった。
だけど、今頼れるのは、・・・なんとなくあなたしかいないように感じたの・・・。」
・・・涙が零れおちそうになるのを堪えていたようで、直後に彼女の表情が歪んだ。
そして、「ごめんなさい。」と彼女は言葉を加えた。
そのごめんなさいと言うのは、恐らくさっきのことに対してだろう。
正直、律子は複雑な気持ちだった。
さっきの一件だけでも、もう心が折れそうだった。
しかし、彼女はもしかしたら、心を開こうとしてくれているのかもしれない。
・・・ただ、今日はもう疲れてしまった。
律子は彼女の方に向き直り、
「・・・後日、また伺います。」
とだけ言った。
そして、そそくさと彼女に背を向け、病室のドアに手を掛ける。
部屋から出る瞬間、小さく彼女の「ありがとう。」という言葉が聞こえたような気がした。
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律子は何となく彼女に顔を合わせるのがおっくうで、けれど何をするでもなく家に引きこもってしまっていた。
今日もぼんやりと一日が終わっていく・・・。ベッドの中にうずくまり、そう思っていた時のことだった。 自分の部屋を誰かがノックする。「入っても良いか?」と聞こえて来た声は父のものだった。
「いいよ。」と素っ気なく返すと、父はゆっくりとドアを開いた。
彼が律子の部屋に入るのは何年振りだろうか? 自分の部屋に父が入ると、それだけで違った空間に なってしまったような、不思議な感覚に陥る。
「・・・律子。こっちを向きなさい。」
父がそっと、冷たく言う。
掛け布団を頭が隠れるまですっぽりと被った律子のその姿は、全てから背を向けようとしていることを表していた。
そして、父はそんな律子の心境を察しているようだった。
「嫌だ。何だか、無理・・・。」
父の言葉にそう答えると、膝を折りたたんで抱え込み、更に縮こまる。
その様子を見て、今の律子に動こうとする意志はないと諦めたのか、父はそのまま口を開いた。
「3日間入院していた彼女は、自律神経失調症ではなかったらしい。」
その言葉を聞いた瞬間、律子は神経を聴覚に集中させた。
それでもまだ、ベッドから出ることはしなかった。
「・・・問診を繰り返したところ、おかしな点が多々あるようだ。話の辻褄が合わない、
と言うのだろうか・・・記憶が断片的なものだった。もしかしたら彼女は、」
聴覚に全神経が集中させられているせいなのか、緊張からくるものなのか・・・、
途端に、部屋にある時計の秒針が鬱陶しいくらいに五月蠅く聞こえてくる。
・・・もしかしたらこの次に発せられる言葉が怖くて、聞こえないようにしてしまっているのかもしれない。
だが・・・、
「解離性同一障害なのではないかと。」
時計の音が止まったような気がした。
解離性、同一障害。つまり、二重人格や多重人格など、主人格である自分の人格以外の人格を持ってしまう症状のこと・・・。これを題材にしたドラマなどは何度か目にしたことがあったため、聞いたことがある単語だった。
しかし郁夫、いや、彼女が?
・・・確かに、冷静に考えてみればそれが一番納得できるのかもしれない。
今まで郁夫であった人間が、ある日突然全く別の人間になっていた。
言ってしまえば、人格を入れる容器・体は同じであったが、中身が違ってたということだ・・・。
彼が何故突然彼女になってしまったのかは、そう考えるのが自然なことだった。
・・・だが、納得したくなかった。律子は涙をこらえ、強く首を横に振る。
郁夫は郁夫としてこの世界に存在しているんだと、そう思いたかった。
「混乱する気持ちは分かる。だけど、お前は事が解決する最後まで、彼女に関わると決めたんじゃなかったのか? 自分の中で纏まったら、きちんと説明してくれるんだろう?」
私の動揺を見抜いて尚も、父は変わらず落ち着いた口調で言う。
(そんなこと言われたって、無理だよ!)
そう強く言い返したかったが、同時にそんな自分を情けなく思った。
しかし、だからといってすぐにどうしようかとも思えなかった。
父が言うように、確かに全てが纏まるまで関わっていくと決めた。ついこないだ、父と母にそう宣言したばかりだった。それなのに・・・、情けなかった。
「彼女は心療内科の病室に移ることになった。
見舞いに行くなら依然と部屋が変わっているだろうから、気をつけろ。
・・・あと、そんなにごちゃごちゃと何かを悩むくらいなら、もう関わるのは辞めた方が良い。中途半端な気持ちじゃ何も得られないだろうし、彼女を余計に混乱させるだけだろうからな。」
胸が痛む。諦めたくないはずなのに、マイナスな考えがどうしても頭の中を渦巻いて行く。
「あと。彼女の名前・・・「谷村瑞穂」だそうだ。行けるのなら、覚えておくんだな。」
父の口調はとてもきついものだった。しかし最後の一言にはどこそこ優しさが含まれているように感じられた。父はもしかしたら、信じてくれているのかもしれない。
・・・ふと気が付くと、父はもう部屋からはいなくなっていた。
父が出て行った部屋の空間は、柔らかな元の状態に戻る。
・・・こうした変化を感じたのは、やはりまだ父に対して緊張と恐れがあったからだろう。
とはいえ、父が言い放ったことは全て正論だった。
郁夫のことが知りたい、郁夫にまた会いたい・・・。
けれど、そうするためにはきっと彼女のことも受け入れる必要があるのかもしれない・・・。
彼女が受け入れてくれなければ、きっと郁夫からも真っすぐに受け入れてもらうことはできない。だから、彼は現れなくなってしまったのかもしれない・・・。
そう簡単なことではないし、すぐにできることでもない。
しかし自分が後ろを向いたままで何も解決しないよりは、前を向いていこうとする方が、よっぽど良いに違いないのだから・・・。
谷村瑞穂・・・彼女が移動した部屋は3階にあるようだった。
病院独特のツーンとした臭いがする。見舞いの立場なのに、この臭いを嗅いだだけで
自分も病人になってしまったかのような感覚に陥った。
・・・受付を済ませると、彼女がいるという病室へと向かう。
律子の手にはブーケンビリアの花束があった。別に、これは彼女の好きな花というわけではない。
ただ、なんとなく律子の中で郁夫のイメージは、この花だった。
花に詳しいわけではないが、かつて姉が絵描きの参考として花の本を持っていた。
それを何となく見たときに、このブーケンビリアに目が止まったのだ。
始めてみた時、花びら自体はそれほど大きくはないのだが、その鮮烈な美しい色から目が離せなくなった。
花言葉も、この花同様に情熱な想いに満ちたものだった。
「この花に惹かれた時と同様に、初めて会った時から私は彼のことを・・・。」
・・・ふと気付くと、律子は谷村瑞穂のいる病室の前に立っていた。
6人程入る病室のようだが、今はどうやら彼女を入れて3人しかいないらしい。
・・・ところで、彼女に会って一体何を話したら良いのだろうか?
郁夫とは親しい仲になれつつあったような気がする。しかし、谷村瑞穂と私は言ってしまえば赤の他人でしかないのだ。
「・・・何だか、怖い」
そう呟くと、重たい足が更に動かなくなってしまう。
手に握りしめた花束を見つめ、郁夫を思い浮かべる。
・・・私の街を綺麗だと言ってくれた郁夫。マンションなど建物が増え、ごちゃごちゃと
汚くなってしまった街。それも、肯定的に捉える郁夫。
彼は、自分の街を嫌になりつつあった私の視野を広げてくれた。
「・・・逃げちゃ、だめ。」
彼には感謝したいことがたくさんある。
しかし、きっと彼は色々何か悩みを抱えているようだった。
それらすべて、聞いてあげられたら良かった・・・。
「私からは感謝することばかりで、それなのに私からは何もできなかった・・・。
私からも、彼のために何か・・・・。」
律子は強く頷くと、病室のドアを静かに開いた。
病室の入り口から、部屋を一望する。
・・・すると、一番奥のベッドに彼がいた。
憂いを含んだような、無表情とも言えるような顔で窓の外を静かに眺めている。
その姿は、初めて会った時の、真剣な表情の郁夫と似ていた。
もしかしたら郁夫が戻ってきてくれたのでは・・・そう錯覚してしまいそうになった。
気が付けば、律子は郁夫だった彼女の、正面に立っていた。
長いベッドを挟んでいるため彼女との距離は遠い。
何となく、律子はこれ以上彼女に近づくことができなかった。
・・・心臓が高鳴っていくのが分かるが、深呼吸をして心を落ち着け、そっと口を開いた。
「こんにちは。」
ほほ笑みながら、優しく彼女に声をかける。
すると、彼女は静かにこちらを向いた。
「・・・あなたは、確かこの前の・・・。」
彼女は表情を変えず、私を見上げた。その目つきは冷たいものだった。
「橋本律子です。名前、言っていなかったと思うので・・・。」
郁夫だった彼女から冷たい目つきで睨まれると、少し涙が出そうになる。
それでも、私は笑顔で居続けた。
「・・・律子さん、・・・あなたは一体誰? どうして私に構うの?」
突然の質問攻めに律子の笑顔は崩れる。
表情を維持し続けるのが困難になり、律子の表情は歪んだ。
「この花、ブーケンビリアって言うんです。きっと、あなたに似合うと思ったので・・・
ここに、飾っておきますね。」
律子は質問には答えず、彼女のすぐ横に置いてある空の花瓶にブーケンビリアの花を供えよう
とした。・・・その時だった。
「答えてよ!!」
突然、横から彼女の手が伸びてくる。
そう思った瞬間に律子は背中に強い衝撃を受けた。
・・・どうやら、ベッドから身を乗り出した彼女に、突き飛ばされたらしかった。
その衝撃でブーケンビリアの花は床に落ち、ぐしゃぐしゃになっていた。
律子はため息をつくと、自嘲気味に笑った。
「・・・あはは、やっぱり駄目だ。やっぱり私、耐えられないかも・・・。」
律子はそう呟くと、途端に我慢していた涙が目からあふれ出した。
そんな律子の姿を見て、彼女は少し驚いたようだった。
「・・・ごめんなさい。」
そう言って彼女は手を差し出し、律子を起き上がらせた。
しかしどうしたら良いのか分からないといった様子で、そのままベッドに戻った。
律子は彼女の方に向き直り、涙の目を擦って重い口を開いた。
「・・・、私はあなたのことを知りません。私が知っているのは、郁夫さんだけです。
私は彼に会いたい。ただ、それだけなんです。」
郁夫という名前を聞いて、彼女の瞳は一瞬だけ大きく見開かれた。
しかし、直ぐに心を落ち着けたようで、「そう」と言った。
そして、続けて口を開いた。
「・・・私だってあの人に会いたいのに、・・・何故あなたは会えたのよ。」
と、小さくそれだけ言った。
彼女は複雑そうな面持ちで強く胸を抑え、涙を堪えているようだった。
律子は、しまったと思った。
突然こんなことを話してしまった。郁夫という単語を出すのは、彼女が心を開いて
くれてからだと思ったはずだったのに。
・・・やっぱり、ダメなのかもしれない。
再び涙がこみ上げ、瞼が重くなった。
「・・・すみませんでした。私、もう・・・。その、失礼します。」
律子は彼女に頭を下げた。そして顔を上げ、彼女に笑顔を向けると同時に涙が零れおちた。
それを乱暴に拭い、そそくさにその場から立ち去ろうとした時だった。
彼女、谷村瑞穂は、背を向けた律子の腕を強く掴み、引き留めてきた。
「ま、待って。・・・その」
律子は驚いて振り向く。
すると、今度の彼女は、しっかりと律子の目を見ていた。
冷たく睨みつけるのではなく、真剣な目で。
「私、あなたが会ったという郁夫について教えて欲しいの。
正直、悔しいし、あなたの事が少し憎いとも思ってしまった。
だけど、今頼れるのは、・・・なんとなくあなたしかいないように感じたの・・・。」
・・・涙が零れおちそうになるのを堪えていたようで、直後に彼女の表情が歪んだ。
そして、「ごめんなさい。」と彼女は言葉を加えた。
そのごめんなさいと言うのは、恐らくさっきのことに対してだろう。
正直、律子は複雑な気持ちだった。
さっきの一件だけでも、もう心が折れそうだった。
しかし、彼女はもしかしたら、心を開こうとしてくれているのかもしれない。
・・・ただ、今日はもう疲れてしまった。
律子は彼女の方に向き直り、
「・・・後日、また伺います。」
とだけ言った。
そして、そそくさと彼女に背を向け、病室のドアに手を掛ける。
部屋から出る瞬間、小さく彼女の「ありがとう。」という言葉が聞こえたような気がした。
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プロフィール
HN:
Remi
性別:
女性
自己紹介:
好きな音楽→ELECTROCUTICA、西島尊大、LEMM、ジャズ
過去に小説を書いていたので載せています。
最近また小説を書きたくなったので書いていますが、
書けなくて悪戦苦闘しています。
過去に小説を書いていたので載せています。
最近また小説を書きたくなったので書いていますが、
書けなくて悪戦苦闘しています。
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